森崎日記

読書メーターから来ました

「心」から自分の癒し方を考える 五木寛之「人生のレシピ 疲れた心の癒し方 (教養・文化シリーズ) 」 感想及びまとめ

概要

五木寛之独自の心の休め方である

・「妄想(これまでの人生で蓄えてきた経験を、自分の想像力で自由に膨らませて楽し

  むこと)」

・「思想(生きるとは、死ぬとは、といったテーマをじっくり掘り下げること)」

・「回想(これまでの人生を振り返ってみること)」

という「三つの想」の中で特に回想へ焦点を当てて、「移動」、「食」、「映画」といった各章のテーマに沿って五木寛之自身の人生について回想するという内容の本。

 

個人的に印象に残った所

個人的には、

P28~ 柳宗悦の「心偈」の中にある「見テ、知リソ、知リテ、ナ見ソ」という一句は、「見てから知るべきである、知識を得たのちに見ようとしてはいけない。」という意味である。しかしそれだけではなく、「見テ、知リソ」というのは、自分で見て判断しなければいけないが、見たからといって自分が知ってつもりになるのはダメであるという事を、「知リテ、ナ見ソ」というのは、事前の知識や先入観だけで物事を見てはいけないという事を言っている。

 

P82~ インド旅行の際に、仏陀がお腹を壊した時に弟子が水を汲みにいったという川の畔まで行き、「何千年前に仏陀がここで腹が痛いのを水をいっぱいに飲んで癒したのか」とそこに立って考えていた。そのとき、本の中にある仏陀の教えとかいうものではなくて、仏陀が生きて呼吸をしている人間という感じがした。仏陀の吐いた言葉が非常に身近に感じられて、「そうか、こういう人だったんだな」とあらためて思った。

 

という二つの話が特に印象に残った。

 

心の癒し方

回想とは感傷にふける事ではなく、広くて深い記憶の集積の中から、今現在とつながる回路を手探りするという積極的な行為である。辛かった時代の記憶というのも、「あのときにくらべれば」と、追い込まれた時に思うことのできる存在なのだとすれば、ありがたいものでもある。

 

ストレスが激しい時には、最も辛かった日々のことを思い出したり、嬉しかったことや幸せだった瞬間などのプラスの記憶を掘り起こしまざまざと実感する、といったことを行う。ストレスの多くは未来への不安から生じるものであり、「なんとかなる」「これまでなんとかなった」という実感を回復することで、ストレスは軽くなっていく。

 

また、回想で大事なことは「あの日は雨が降っていたな」や「そういえば外を見た時に、赤に花が雨に濡れていたな」といった情景である。情景を辿りながら、同じ思い出を繰り返し回想している間に、思い出が細部まで見えるようになり、ついには立体的にその思い出が浮かび上がってくるようになる。

 

そうやって、一人で思い出をいつくしみながら時間を過ごすことで、疲れた心を休めることができる。そして、うしろを振り返ることで、前へ進むエネルギーを生み出すことができる。